私は母校、埼玉県立川越高校同窓会(初雁会)会報の「浅草観音発祥の地、飯能市岩渕岩井堂観音」の記事を見てびっくりしました。
 物心ついた時から祖父母に聞いていた「浅草の観音様は我が家の裏の成木川から流れて行ったもの」の話が具体的な証拠と共に紹介されていました。私達地元有志はすぐに調査を始め、次のような伝承があることがわかりました。
 527年1人の旅僧が聖観音菩薩像を岩井堂に奉る。532年観音像が大暴風雨で成木川に押し流されて行方知れずとなる。約100年後、隅田川で漁師の兄弟が網の中に観音像を見つける(浅草寺縁起にも同様記載)。岩渕の人々はその観音像は岩井堂から流れ出たものと確信し返還要求を始める。
 645年浅草寺は観音像を絶対秘仏にして固持し、返還要求は1300年余り続きました。ところが、昭和8年に突如浅草寺の執事長清水谷恭順氏(後の24代貫主)から「ご本尊様は返せないが分身をお返ししたい」と、一体の観音像が奉還されました(東京日日新聞で報道)。また、岩井堂を浅草寺の奥の院にしたいとの申し入れがありましたが、諸般の事情により実現しませんでした。
 私は、世界中からの参拝者で賑わう浅草観音のふるさと、岩井堂観音が(諸説あります)、郷土の誇りとして今後も多くの人々に尊ばれることを念じています。

岩井堂の聖観音菩薩像