戦後復興を遂げ、アジアで初のオリンピックを2年後に控えた1962年、日本交通公社に入社しました。高度経済成長の真っただ中で、仕事も結婚も子育ても、と欲張ってやってきましたが、子供達が自立した時、私に残された仕事、それは大学進学という夢の実現でした。
 宇都宮大学、一橋大学大学院まで足を伸ばして学び、夢を叶えました。そして、2003年に高齢社会への布石として、夫と二人三脚で、皆が楽しく集まり、楽しさも集まるという趣旨で「地域楽集館」を開設しました。現在100数名の会員が、ラージ卓球、健康体操、論語塾、カラオケ教室、健康マージャンなどの講座を楽しんでいます。まさに60歳の進化論です。思えば、33年間JTBの接客業で経験した「ご出発の安心感、お帰りの満足感」が今の仕事に大きなプラスとなっております。
 2015年に夫が他界してからは、その寂しさを埋めるために短歌という新たな慰みを見つけました。その一部を記します。
◎100年の旅の途中の77歳
   残る余白の伸びしろ如何に
◎楽集館三密避けて休業に
   楽しみよりも生命優先とす
◎コロナ禍で日常失くす地球民
   武器も持てずにウイルスと闘う