会員だより:僥倖な話…松本清張さん(湘南 安西 美津子)

 戦後77年、テレビで松本清張特集が放映され、懐かしく見た。
 現役時代に担当した仕事の一つに『JTB旅行文化講演会』がある。
松本清張さんを講師にとの希望が九州営業本部からあり、早速ご自宅に電話を入れた。電話口で、「君いつ来る?」
「明日以降ならいつでもいいです」
「明日午後に」
と。当時、電話・FAXのやりとりがほとんどで訪問は珍しいこと、興味津々で伺った。
 2時頃到着し、応接室に通された。お茶と高級な和菓子を前に、諸々の説明をし、講演を快諾いただいた。席を立とうとしたら、
「ところで、あやちゃん、今何してる?」

一瞬戸惑ったが戸塚文子さん(雑誌『旅』の編集長を務め『点と線』を世に出した)のことではないかと思い当たり、
「一緒に働いたことはない大先輩なので、現在のことは知りません。調べてお返事します」
と申し上げると、「うん、うん」と勝手にうなずいておられ、立とうとすると奥に「コーヒー」と呼びかけ、立とうとすると「ケーキ」、立とうとすると「西瓜」、それも4分の1程はありそうな量で出てきた。しかも、清張先生は全てムシャムシャ召し上がるので食べないわけにはいかず、お相伴してしまった、と言うよりは、させられてしまった。そして、合間には「あやちゃん、今何してる?」を繰り返される。4時半頃やっと辞去して、駅のトイレに駆け込んでしまった。
 帰社して当時の出版事業局の友人に戸塚文子さんのことを問い合わせ、翌日清張先生にお知らせし、念のために手紙も書いた。その折、友人から聞かされた清張先生観は、「清張先生は大物過ぎて、今は訪ねる編集者も文春と朝日の2人くらいと聞いているから、寂しかったのよ。そこに若くもない女が行って、知ったかぶりの話を始めたから、先生も乗ってしまったのではないの? これは僥倖と言うのよ」とのこと。
 講演当日は、出発から帰宅まで文春の編集者が付き添ってくれた。
帰りの福岡空港ではハイヤーの到着から搭乗まで特別室に案内された。JTBとしては何ら特別のお願いをしていないにもかかわらず。
家の方から「通常謝礼は振り込みでいただくのですが、寂しいらしいので、できるなら現金で渡してほしい」との希望があったので、熨斗袋でお渡しした。福岡空港で、ご自分で辛子明太子を買いたかったらしいのでお伴をしたところ、少し厚みのある熨斗袋をポケットからいきなり出した時の売り手の小母さんの〝目マン丸顔〞が今でも忘れられない。
 『点と線』……あやちゃん、松本清張さん、お神酒徳利の仲と言われた親友、伊崎恭子という点が繋がった、遠い昔の話です。