もう50年前の出来事。私は某製薬会社による薬局オーナー25人の招待団体旅行の添乗員でフィリピンマニラに行った。3泊4日の旅で、その3日目のことだった。
 マニラからバスで2時間半程のパグサンハン(映画『地獄の黙示録』のロケ地)の川下りを楽しんでの帰り、マニラ郊外に差しかかると、突然空が暗くなり、豪雨になった。川の水が溢れ、道路は見る見るうちに濁流に飲み込まれた。橋が流された。バスはその場で立ち往生。日が暮れて暗闇になり、バスの運転手とガイドが様子を見に行ったが、そのまま戻らず。26人の日本人がバスの中に取り残された。水かさが増しバスは流され、ガードレールに引っかかって止まった。「マニラ郊外で日本人観光客26人が遭難」、翌日の新聞記事が頭をよぎった。バスの中が騒然としてきた。
 その時、「添乗員さん遠くに灯りが見える」という声がした。それを聞いた私は「このままここにいたら、バスごと流されて死んでしまう。灯りに向かって歩きましょう。水は腰までの深さです。荷物をまとめて頭の上に乗せて私の後に付いてきてください」と話し、闇夜の濁流の中を先頭になって歩き出した。
 20~30分くらい歩くと、小高い丘の上で数十人が焚き火をしていた。人々は私達に驚きながら、焚き火の周りに招いてくれた。私は命が助かったと思った。団員に「お土産に買ったお菓子でもいいから出して、お礼に使わせてください。歌を歌ってお互いに励まし合いましょう。日本が戦争をしていた国です、軍歌はダメです。童謡にしましょう」と提案した。そして、その場は日本とフィリピンの歌合戦のような大合唱になった。
 しばらくすると、フィリピン軍のトラックが来た。日本人観光客で、マニラに帰る途中で遭難したことを訴えたところ、私達はトラックでマニラのホテルまで送られた。夜中の1時だった。後に、当時のフィリピンは戒厳令下で、夜中の12時には軍隊の見回りがあり、その軍隊に助けられたことがわかった。
 その日の朝8時にマニラを出て、正午には全員が無事羽田に帰ることができた。たくさんのお土産話を持って・・・。
【共同通信元記者のブログより】
 人は日々、死と隣り合わせて生きている。それを意識するか、人によって異なる。ここで紹介した小見山進さんの体験は、限界ぎりぎりに追い込まれても人の生きる力の強さを示している。