北条氏の滅亡後、八王子統治を託された徳川家康は、甲斐との国境警備を主眼として計画的に街を造り上げました。
 家康の右腕として活躍したのが大久保石見守長安。旧武田家臣で、氾濫することの多かった南浅川の治水や街道・宿場の整備を行い、また治安維持と国境警備を任務とした八王子千人同心の組成などを行いました。
 武田家滅亡時に八王子に落ち延びた武田信玄息女の松姫の存在も忘れることはできません。