五三同好会卒業式
武蔵野 勝岡 只
五三会とは、1953年4月に関東支社採用の高卒社員の集まりで、「ゴミ会」と呼称する。
年齢が60歳となった時、会合希望者だけに絞り、衣替えしたのが「五三同好会」である。
会発足のキッカケは、入社2~3年頃、配属先の異なる数名の同期社員が国鉄のセンター(指定券予約のためのセンター)に短期出向(一時関東支社に仮配属して1年後に元の案内所〈支店の前々身〉に戻る)により一緒に勤務したこと、一部の案内所から午後にその日発売の指定券類の乗車日・列車・号車・座席番号に誤りがないか「対照」に来ており、その中に同期生が何人かいたことから、同期会開催、の機運が生まれた。
初めは幹事は持ち回りとしたがうまくゆかず、勝岡が勝手に(万年)幹事を買って出た次第。50年代後半に始まり、最初の数回は、記録は残っていないが、本郷の旅館を何軒か変えて行(おこな)った後、記録上では65年のホテル・ニュージャパン(後に火災を起こし防災不備で社会問題ともなる)から2022年の西新宿の日本料理店まで、合計41回を数える。
前半には、ゴルフ絡み等の1泊旅行が多く、後半は都内中心で、ホテル、和・洋・中華の料理店、東京湾クルーズ、屋形船、幇間(ほうかん)出演のお座敷遊びなど様々。途中から春秋年2回とし、恰好の日本料理店は後半の大半を占める13回も続いたが、コロナ禍で閉店となり、会も中断の憂き目を見た。
さて、この4月で入社71年目。
年齢もそれぞれ「卒寿」を迎えることになるが、各会員も外出が思うようにならず、顔ぶれも揃わないため、切りのいいところで、会食なしの「卒業式」とすることに決定。それも、私がインターネットに無縁なため、画面上の顔合わせやメールではなく、各自から寄せられた書面によるメッセージを交換・配付する方法と相成った。
振り返ってみれば、3月下旬の入社前教育は、中央区の有名な泰明小学校内に間借中の京橋商業高校の教室にて、支社の教育担当の鳥越軍蔵主任主導の下、本社内案内所・小泉武業務係長の講習を受け、有楽町案内所・秋田貞男所長の訓話に耳を傾け、最終日のバスによる主要案内所巡りの後、皇居前広場で全員記念写真。その中には後年有名人になった田原総一朗さん(入社後の配属先は東京駅内案内所で五三会結成前に退社)の姿もあったっけ。
