友人の故郷鹿児島を旅して
迫田 清三
鹿児島を旅するきっかけとなったのは、現役時代に仕事の縁で仲良くなった友人、広島テレビ放送元社員山本氏の「一度故郷を案内したい」との一言からだった。山本氏は鹿児島の高校を卒業後、広島の大学に進学し、中国山脈に魅了されそのまま当地に定住。同い年でもあり、気も合い、若い頃から一緒に山に登ったり、キャンプしたり家族ぐるみでよく遊んだ。いつまでタフな山道を歩けるかなど、ぼやきながらも、今でも毎年欠かさず4月末には山菜を求めて山奥を二人で歩き回る。
実は、約4年前のコロナ禍前、二人でヨーロッパ2週間の気まま旅行を計画。航空機の手配など全て済ませ出発を待つだけであったが、コロナで断念せざるを得ず、キャンセル。あれから4年、お互い長時間のエコノミークラスでのヨーロッパへの移動には、今や体力に自信がなく、では、何処へ・・・というタイミングで,彼の提案通り鹿児島を旅することとなった。私はといえば、JTBに入社間もなく当時あった研修旅行制度を利用して徳之島・鹿児島を旅して以来、実に50年ぶりである。費用面を考慮し車で行く事にした。
5月の天候の良さそうな期日を選び、広島を出発。初日はえびの高原・韓国岳を観光し市内に入った。初日の夕食は、山本氏友人の招待で、黒豚しゃぶしゃぶと焼酎。初めての黒豚であった。ピンク色の肉は柔らかく実に美味。大いに盛り上がった。
翌日は、知覧特攻平和祈念館を見学後、吹上浜の海岸を歩いた。沖合のむき出しの巨岩が船の隠蔽場所には最適そうで、北朝鮮がここを用意周到に拉致場所としたのが納得できた。
祈念館でもそうであったが、ここでも、胸の詰まる思いを抑えられない。
開聞岳は青空の下、勇壮な姿を見せてくれた。指宿では砂風呂に入ったが、何と一時間待ち。今まさに人気絶頂の観光地だ。その後、池田湖に立ち寄り、市内に戻る途中、錦江湾沿いに十数軒の鹿児島名物、両棒餅屋(ぢゃんぼ餅屋)が立ち並ぶが、その内の一軒に入り、今まで全く知らなかった名物団子を味わった。何とも風情のある店、そして味であった。夜は最近再開発された鹿児島駅前地下街のAMUWEグルメタウンで雰囲気のよさそうな居酒屋で夕食。
3日目はフェリーで桜島に渡り、島を一周。船内で地元の高校生グループと出会い色んな話をした。それにしても高校生が旅の途中の年寄二人に、気軽に応じてくれたのは嬉しかった。鹿児島県内至る所、一様に皆さん親切で抜群のホスピタリティーがある。受け地としての優しさなのだろうか。フェリーで市内に戻り西郷隆盛墓苑に参詣し、城山西郷隆盛洞窟を見学。城山から桜島の荒々しい噴煙を望みながら、明治維新に活躍した数多の薩摩出身の歴史上の人物に思いを馳せた。夜は、山本氏の姪御女子と食事、鹿児島県人の気性等の話に盛り上がったが、女子といえども肝の座ったそして気持ちの大きさを感じさせてくれる人であった。
出発前はあまり深く考えていなかったが、この旅で、生まれ故郷鹿児島を誇りに思う彼の気持ちが如実に伝わった。この地の人々の何とも言えぬ温かさに触れることが出来、天候にも恵まれた3泊4日約1350kmの旅であった。土産はもちろん「さつま揚げ」にしたが、家族も絶賛。自分だけ楽しんだ面目躍如もできた。
支部総会懇親会の後、旅行記の掲載要請があり、渋々承諾して書き始めた本日7月20日午後2時ごろ桜島で噴火が発生、大きな噴石が火口から900Mまで飛んだニュースが報道された。恐らく鹿児島の人達は今日も淡々とされているのだろうなと想う。